リベラル・アーツ

原義・古代では「テクネー(学芸・技術)」などに由来する自由な諸学芸・諸技術を指し、近代以降では一般教養・人文的学芸を指す用語

リベラル・アーツ英語: liberal artsラテン語: artēs līberālēs)は、『大学事典』で自由な知的探究のためのディシプリンの総称とされている[1]。(「ディシプリン」は規律統制学科などを指す[2]。) リベラル・アーツは「自由学芸」や「教養諸学」とも呼ばれており[1]学術論文では自由人の諸技術とも表記される[3][4]

自由七科と哲学

リベラル・アーツは「実用的な目的から離れた純粋な教養」や「一般教養」とも[5]、または人文学芸術自然科学社会科学などの分野の基礎知識を横断的に学ぶプログラムともされる[6]。その語源や由来は、古代ギリシア・ローマ文化を受け継ぐ中世ヨーロッパが生んだ「セブン・リベラル・アーツ」(=自由七科)であり[7]、さらに古くはラテン語の「アルス」(=技術知)および「アルテス・リベラレス」(=自由学芸)[8][1]、古代ギリシア語の「テクネー」(=技術知)および「エンキュクリオス・パイデイア」(=円環的教養)だとされている[8][1]

現代のリベラル・アーツ

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現代英語としてリベラル・アーツ(liberal arts)は「一般教養科目」や「学芸、文芸」や「人文科学」を指す[9]。『大学事典』によれば近代以降、リベラル・アーツは主に中等教育で扱われるようになり、大学では稀(まれ)だという[1]アメリカ合衆国においてリベラル・アーツは、リベラル・アーツ・カレッジ伝統的な私立大学の理念として続いているが、20世紀中頃からはむしろ市民統合のための「ジェネラル・エデュケーション」(一般教育)が試みられている[1]

前掲書は自由人のたしなみか,それとも解放のための技芸かという,リベラルアーツがその起源から抱える問題は,現代においてもなお解決されてはいないと締めくくっている[1]

大学による定義

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国際基督教大学はリベラル・アーツについて、米国カレッジ・大学協会(AAC&U)による以下の定義を引用している[10]

個人の能力を開花させ、困難や多様性、変化へ対応する力を身につけさせ、科学や文化、社会などの幅広い知識とともに、より深い専門知識を習得させるための学習方法

同協会元理事のレベッカ・チョップいわく、リベラル・アーツでは次の三要素の育成が重視されている[10]

2023年の北コロラド大学とネブラスカ大学によれば、リベラル・アーツという分野が教育しているのは人文学、社会科学および「市場向きの技能[11]や「仕事に活かせる必須の実用的技能」である[12][注釈 1][注釈 2]

その他

一方で「StudyInTheUSA」と「ベネッセ海外進学・留学ラボ」によれば、リベラル・アーツとは、特定の職業に直結するような専門知識・スキルよりも「幅広い教養を身につけ、将来さまざまな分野で活躍できるような高い教養を有するバランスの取れた人間の育成[注釈 3]」に重点が置かれ、細かな専門分野を定めずに、さまざまな分野で幅広い選択肢を提供する学問領域である[13][14]

リベラル・アーツ・カレッジの学際性

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リベラル・アーツ・カレッジの場合、入学時に専攻を決める必要はなく、1年目・2年目は自分の好きな科目を履修し、様々な分野を学び、3年次までに専攻をするが、一度決定した後も、専攻は変更することが出来る。

専攻を決定後も、引き続き、自分の好きな授業を履修できる点や、自分の専攻テーマに対する学際的なアプローチ(ビジネスを専攻した場合、ビジネス理論だけでなく歴史や科学などの視点からの考察も出来るなど)が可能になる点も特徴である。

ダブルメジャー(まったく異なる2つの専攻を学ぶ)や、ダブルディグリー(2つの学位を取得できる)の制度を採用している学校もある[14] [15]

古代ギリシア・ローマ~現代までの歴史

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概史

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『大学事典』によると古代ギリシア自由人は、「さまざまなアーツ(学芸)を学んでパイデイア(教養)を身につけようとした」[1]。それらアーツは「エンキュクリオス・パイデイア」(円環をなす教養)と呼ばれ、古代ローマではキケロウァロによって「アルテス・リベラレス」(リベラル・アーツ=自由人に相応しい諸学芸)と呼ばれ、リベラル・アーツは西欧���代における人文学的教養の基盤となった[1]

なお、ギリシア語の「テクネー」(technē)はラテン語の「アルス」(ars)に相当する[16](アルスは「アルテス」の単数形[8])。プラトン哲学アリストテレス哲学では、技術(テクネー)は次のようにも言われている[17][18][19]

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で、こう述べている[20]

実際、とは、あらゆる不運に立派に耐え、与えられた状況のもとにそのつど最善のことを為す人だとわれわれは思っている。
それはちょうど、がいまある軍隊をもっともうまく戦えるように用いたり、が与えられたからもっともできの良い履き物を作ったりすることと同じである。そして、同じことがほかのにも当てはまる。[20][注釈 4]

デルフト工科大学技術哲学者かつ元建築家であるジョン・R・デイカーズ[24]の著書は、アーツ、リベラル・アーツ、テクノロジーなどの歴史的経緯を次のようにまとめている[8][25][注釈 5]

リベラル・アーツの由来と近代化
時代区分 用語概念 伝統的な哲学言説
古代ギリシア テクネーに関する言説
古代ローマ アルス/テクネーに関する言説
アルテス・リベラレス(自由学芸)
アルテス・メカニケー(機械学芸)
中世近世ヨーロッパ
  • アート(学芸/技術/芸術)/アルステクネー
アート/アルス/テクネーに関する言説
  • アルテス・リベラレス/リベラル・アーツ(自由学芸)
アルテス・メカニケー/メカニカル・アーツ(機械学芸)
アーティフィシャル人工的)
アートフル(アーツ(リベラル・アーツ)に精通した/熟練した/芸術的な)[注釈 6]
近代19世紀)以降 縮小・終了
専門化・分業化による近代的な自然科学社会科学人文科学の誕生と拡大)

歴史

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人文学者の半田智久の学術論文によると、リベラル・アーツはしばしば、職業的な学び教育とは異なる「実用性から自由になった学芸」と解釈されており、それとの比較で「技術知」(テクネー)は奴隷的技能ともされる[28]。しかしリベラル・アーツの誕生経緯を見れば、もとは様々な実学が「自由」な方法でリベラル・アーツに含まれていた様子がある、と半田は言う[28]

ソクラテスプラトンも、靴作りの技術を数論弁論と並べて語る等の「自由性」を見せていた[28][注釈 8]。奴隷的技能(技術知)に関しては、古代ローマの特徴として奴隷身分は解放される道筋があり、解放奴隷哲学者や偉大な軍人や政治家となって後世に名を残したという「自由度」があった[28]。すなわち「ラテン的な実学を、知を愛し求める一線に連ねてしまう自由こそがもともとのリベラルアーツ」だったと半田は言う[28]

半田によると、「リベラル・アーツ」の語源古代ローマ共和制ローマ)のラテン語で、端的にはアルテス・リベラレス(artes liberales)である[32]。リベラル・アーツという語句について──厳密にはその語源に相当する「自由人にふさわしい諸学芸」(artes, quae sunt libero dignae)や「自由学問」(doctrina liberalis)について──最初に論じた古代ローマの学者としては、キケロウァロウィトルウィウスなどが居た[33]。彼らは同時代人であり、特に「ローマ最大の学者」と言われるウァロは医術建築をもリベラル・アーツに含めていた[32]。建築家ウィトルウィウスは、建築家になるために子供の頃から学ぶ必要のある学科目として、次を挙げている[33]

つまり古代ローマに生まれたリベラル・アーツは、工芸美術をも含む広範な芸術と実学を併せ持つ「総合的な知の錬成」、「総合学術」であり、これがローマ帝国の象徴的な巨大建築を実現させた[28]。このようなリベラル・アーツは、ローマの繁栄と共にあった「自由さ」を、そしてその基礎であるパクス・コンソルティス(Pax Consortis 多国間協調による平和)を体現している、と半田は述べている[28]

トーマス・アクィナス大学哲学博士マイケル・オーグロスは[34]、学術教育団体「アーツ・オブ・リバティー Arts of Liberty」で、《技芸生産理数系学問を兼ね備えたリベラル・アーツ》という概念について述べている[35]

幾何学計算算術〕を「リベラル・アーツ」と呼ぶことは何を意味しているのか? 古代人たちの語彙では、「アート」(ラテン語でアルス、ギリシア語テクネー)は科学と同様に、注意深く推論された知識を意味した。
しかしそれに加えて、「アート」は何かを産み出すための知識を意味した。「生産品成果〕」が無ければ「アート」も無い。


つまり、ある種の知識は「科学」ではあるが「アート」ではない、ということがあり得る。
例えばアリストテレスは、についての研究〔the study of god〕を「科学」と考えた。「科学」は、明白な原則を元に厳密に推論された知識の体系であったが、「アート」ではなかった。何故なら「科学」は神々〔gods〕を作る方法も、〔god〕に関して何かする方法もわれわれに教えなかったからである。 …


一方、幾何学は「アート」かつ「科学」であるのだ、これらの用語の古代的意味ではそうなる。
幾何学が「科学」である理由は、幾何学が明白かつ必然的な真理から出発して、その論理的結果を推論するからだ。それでいて、幾何学は「アート」でもある。何故なら幾何学は、特定の事物構造をどうやって作るかを教えてくれるからだ。
われわれは、事物や構造を頭の中で形作る。それらをコンピュータプログラムによって描き出すことは(一般的に便利だが)、必須ではない。にも関わらず、事物や構造はある種の精神的な「生産品」だ。 …


つまり幾何学はアートであり、かつ最も厳密な(そして古代的な)用語の意味での「科学」でもある。[35]

学術論文での解説

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「リベラル・アーツ」の由来は複雑であり、簡潔に説明するのは専門家でも困難という論文がある[36]

英語の「リベラル・アーツ」(liberal arts)の語源は、ラテン語の「アルテス・リベラレス」(artes liberales)である[37]。この「アルテス・リベラレス」は、古代ギリシャ語の「エンキュクリオス・パイデイア」(ἐγκύκλιος παιδεία)に対応する[38][39][注釈 9]。また「アルテス」(単数形: アルス、 ars)は、ギリシャ語の「テクネー」(τέχνη)にも対応する[41]

宗教学者の山田耕太が言うには、教育史において古代ギリシアが「計り知れない」ほど多大な影響を及ぼした[42]。古代ギリシアでは「パイデイア英語版」は「教育」・「教養」・「文化」などを意味しており[43]、主に

という違いがあった[42]。一方で教育思想史学者の菱刈晃夫いわく、「テクネー」の中でも修辞学(弁論術)などは自由人のものだった[41]

そのような背景のもと、「エンキュクリオス・パイデイア」という語は、プラトンが『国家』第7巻で説いたような、基礎諸学科を指す語として使われた[44][注釈 10]。すなわちプラトンは、体育古代ギリシャにおける体育)やムーシケー(文芸詩歌古代ギリシャにおける音楽)に加えて、哲学的問答を学ぶための準備として、17、18歳までの少年時代に、算術幾何学天文学を学ぶ必要があると説いた[46][注釈 11]。プラトンによれば、これは職人のための学芸とは区別される、彼の哲人国家論における統治者のための学芸だった[47]。プラトンの学園アカデメイアでも、同様の基礎諸学科すなわち「エンキュクリオス・パイデイア」が学ばれた[45]。ただし、「エンキュクリオス・パイデイア」の語はヘレニズム哲学の諸派においても使われ、含まれる学科もまちまちだった[45]

古代ローマにおいては、キケロ発想論英語版』や『弁論家について英語版[37]セネカ倫理書簡集英語版』第88書簡[37][注釈 12]ウァッロ佚書[48][注釈 13]アウグスティヌス秩序論ドイツ語版[50]など、様々な文献で[51]、「アルテス・リベラレス」や類似表現が使われた。しかしながら、古代ローマにおいても含まれる学科はまちまちだった[51]。例えばキケロ『弁論家について』第3巻127節では、エリスのヒッピアスの言葉を引く形で、「自由人にふさわしい高尚な学芸」(liberales doctrinae atque ingenuae)として、幾何学・音楽・文学・詩人の薀蓄・自然学倫理学政治学を挙げている[52]。またキケロはプラトンと異なり、哲学よりも修辞学を上位のものとしていた[52]

5世紀から6世紀(古代ローマ末期・中世初期)になると、マルティアヌス・カペッラカッシオドルスボエティウスら複数の人物が、キリスト教の理念に基づき教育内容を整えるために、従来のギリシア・ローマの学問を、後の「自由七科」(セプテム・アルテス・リベラレス、septem artes liberales、七自由学芸)に含まれる七科として決定付けた[53][54]。カペッラは『フィロロギアとメルクリウスの結婚』で、文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽の七学科を擬人化した。カペッラは上記のウァッロの影響を受けていた[49](ただしウァッロは七科ではなく九科としていた)[48]。カッシオドルスは『綱要』第2巻で、「アルテス・リベラレス」の語源を説明した上で、カペッラを意識しつつ同じ七科をあてた[55][56]。ボエティウスは『三位一体論』などで、カッシオドルスと同様の学芸分類を行った[56]

8世紀から9世紀カロリング朝ルネサンス期)になると、カール大帝の学芸振興政策により、自由七科が教育の根幹に位置づけられ[57]アルクインアルス・グラマティカ(文法学)英語版』などで自由七科が論じられた[58][要ページ番号]10世紀には、教皇シルウェステル2世がボエティウスの影響のもと自由七科を扱った[要出典]12世紀ルネサンス期には、シャルトル学派のテオドリクス(シャルトルのティエリ英語版)が『ヘプタテウコン(七自由学芸の書)』を著した[要出典]

13世紀大学ストゥディウム・ゲネラーレ)が学芸の中心地になると、神学部法学部医学部に進む前の学芸学部哲学部教養学部とも)で自由七科が教えられた[59]1215年には、教皇特使ロベール・ド・クールソン英語版によって、自由七科の最初の体系的カリキュラムが示された[60]

また中世初期から、「アルテス・リベラレス」と対になる「アルテス・メカニカエ英語版」(artes mechanicae)も理論化された[61]。12世紀サン・ヴィクトルのフーゴーは『ディダスカリコン(学習論)フランス語版』で、織物制作・武具製造・商業・農業・食料生産・医術・演劇の七技芸を「アルテス・メカニカエ」とした[61]

19世紀以降は、英国のジェントルマン教育や米国のリベラル・アーツ・カレッジに、自由七科の理念が引き継がれた[42]

自由七科

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  • トリウィウム(三学、三科)

5世紀のマルティアヌス・カペッラ『フィロロギアとメルクリウスの結婚』には、トリウィウム( trivium、三学、三科)が暗示されているが、この言葉が使われるようになったのは、カロリング朝ルネサンス期(8世紀9世紀)のアルクインからであり[55]、次節の「クワドリウィウム」に倣って造語された[62]

  • クワドリウィウム(四科)

以下の数学的四学科を括ること自体は、プラトン『プロタゴラス』に伝えられるエリスのヒッピアスや、6-7世紀のイシドールスによって行われているが、四学科を「クワドリウィウム英語版」(quadrivium、 四つの道)と呼ぶことは、6世紀のボエティウスに始まる[40]

日本におけるリベラル・アーツ

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数学者であり複数の大学で学長を務めた大口邦雄は著書『リベラル・アーツとは何か——その歴史的系譜』[63]で、東京大学教養学部国際基督教大学 (ICU) 教養学部を日本におけるリベラル・アーツ教育機関の代表としてあげている[要ページ番号]

前者の東京大学は、第二次世界大戦前の旧制高等学校の伝統を受け継ぐものである。旧制高等学校は戦後になって4年制大学に改組されると、多くの大学において教養部一般教育課程・教養課程)がリベラル・アーツ教育の役目を担ってきた。しかし東京大学においては、教養部ではなく教養学部を独立した学部として設置した点で特徴的である。

後者のICUは米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後作られたものであり、人文科学・社会科学・自然科学の3領域を網羅し、専攻を自分で選ぶ教育を少人数で行う点、そして米国リベラル教育学会の認定を受けるなど世界基準の教育を行う点で、旧来の日本の大学とは一線を画すものとなった。リベラル・アーツ教育と国際性の2つを特徴とするICUの教育システムは、その後多くの大学にも引き継がれるようになる。

また旧制高等学校からの歴史を持つ大学群に関して事例を挙げると、浦和高等学校を継ぐ埼玉大学は当初設置の文理学部を1965年に教養学部へと改組した[64]。このほかの旧制高等学校からの歴史を持つ大学はその教養部を学際系学部に改組してきている。京都大学総合人間学部第三高等学校)、名古屋大学情報学部第八高等学校)、広島大学総合科学部広島高等学校)などをはじめ、学際系学部として独立している。

加えて、師範学校を前身とする国立の教育大学GHQの指示で米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後に設立された大学である。これらの大学は、人文科学、社会科学、自然科学および芸術の専攻からなる少人数教育を行なっており、1970年前後に国の方針で教育大学教育学部に改組する以前はリベラル・アーツの訳語である自由学芸から引いた学芸大学学芸学部という名称であった。なお東京学芸大学は教養系を、大阪教育大学は教養学科を設置し、現代的なリベラル・アーツ教育を行なっている。同様に、リベラル・アーツ・カレッジに範をとった津田塾大学は現在も学芸学部という名称を使用している。

21世紀に入ってからは社会科学・人文科学専攻とその周辺の学際領域専攻やビジネス専攻に限定した国際教養学部等の設置が目立ち、その事例として早稲田大学での学部設置や、公立大学法人の国際教養大学の設立が挙げられる。本来は人文科学・社会科学・自然科学の3領域の基礎分野すべてを網羅するのが現代のリベラル・アーツの基本であるが、日本においては戦前の旧制高等学校の「文科と理科」及び戦後の高等学校の「文系と理系」の分類が先行し、「リベラル・アーツ」を掲げつつもいわゆる文系分野が主たる領域となって3領域すべてをカバーしない(例えば、ビジネス専攻と社会科学系・国際系の学際領域専攻のみに限定され、芸術学や宗教学や数学や物理学などの専攻ができず、また教育職員免許状は英語しか取得できない)など、専攻可能な分野に偏りがある場合もある。特に自然科学については専攻として一切設けられていないことが多い。

上記のように、旧来の一般教育・教養課程を改組することでリベラル・アーツ教育(もしくはリベラルアーツと直接の関わりを必ずしも明示しない学際教育)を担う学部・プログラムを設置する大学が少なくない。その豊かな教員構成を活用して、これらから敷衍されうる分野も扱われるようになった。この他、全学での単位互換を行うといった制度への取り組みも挙げられる。

なお一部で「教養学」という言葉を、学術の体系化されたいち分野として用いることがある[1][2][3]が、「教養学」という名称を「学術の一分野」として用いた学術団体は2012年時点で存在していない。例として2011年に設立された学術団体であるJAILA(日本国際教養学会)を挙げると、同会は会則で「学際的立場」を基礎としており、「学際的な学会」として研究活動を「哲学、歴史、社会科学、自然科学、芸術、教育、外国語、環境など」[4]の多方面に広げている点を示しているのみである。

リベラルアーツ教育を行う大学

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教養学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学

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国際系学部等でリベラル・アーツ教育を行う大学

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教育学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学

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理工系学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学

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リベラル・アーツ教育を主体とする女子大学

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学際教育を行う学部を持つ大学

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全学部横断型のリベラルアーツ教育プログラムを持つ大学

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東京経済・岡山・高知・九州の4大学のプログラムは独立した学部ではなく、全学部が協力して教育を行う特別なコースとなっている。学生には個別の学部ではなく、プログラム独自の学生証が発行される。

リベラルアーツ教育を行う各種学校

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その他

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  • LIBERARY:リベラリー。KDDI株式会社が提供するリベラルアーツを動画で視聴ができるサービス。幅広い学問に渡って、コンテンツが展開されている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 北コロラド大学の原文:
    Importance of the Liberal Arts
    Why should you get a degree in the Humanities and Social Sciences?
    To gain [11]
  2. ^ ネブラスカ大学の原文:
    For you, studies in the Liberal Arts may provide ; or they may prepare you to move on to a graduate or professional school.
    For others, the key value of a Liberal Arts education may be the personal satisfaction and fulfillment that studying philosophy or art makes possible.
    Still others will be able to excel in today’s global business world because the foreign language skills developed in their Liberal Arts education gave them an important edge.[12]
  3. ^ 特にリーダー知識人としての人格形成
  4. ^ アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第1巻第1章で、次の通り書き出している[21]
    どのような技術研究も、そして同様にしてどのような行為選択も、なんらかのを目指しているように思われる。それゆえ、善はあらゆるものが目指すものであるとする人々の主張はすぐれていたのである。[21]

    邦訳者ら(渡辺邦夫・立花幸司)の訳注によると、ここでの「善」は、数学者天文学者兼哲学者エウドクソスなどの主張を指している[22]

    同書の第6巻第4章にはこうある[23]
    技術とは、真なるロゴス分別)をそなえた、制作にかかわる性向なのである。[23]
  5. ^ Academia.eduに掲載されたジョン・R・デイカーズの経歴原文:"John started his career in architecture, eventually starting his own practice in Glasgow in the late 1970s. ... he began an honours degree in technology education as a mature student. He graduated in 1997 with first class honours and took up teaching in a secondary school in Glasgow. After a few years teaching he was offered a post as a lecturer in Educational Studies at the University of Glasgow. It was during this time that he became interested in the philosophy of technology as related to technology education, particularly technological literacy"[24].
  6. ^ 語源辞典によると、「アートフル artful」という英語の語源は1610年代であり、原義は「学んだ、(リベラル)アーツに精通した」、「技術的熟練によって特徴付けられた、芸術的な」[26]1739年以降に「巧妙な、狡猾な、手段を目的に順応させることに熟練した」という意味が加わった[26]
  7. ^ 現代の英和辞典によると、「アートフル artful」の意味は「巧妙な、巧みな、悪賢い、狡猾な」、「技巧的な」[27]
  8. ^ プラトンの『ゴルギアス』によると、ソクラテス数論計算幾何などを
    言論によってすべてを成し遂げる技術
    として論じていた[29]。同書でソクラテスは、「技術」と技術でないものとの区別についてこう論じている[30]
    ぼくとしては、きちんとした説明もできないようなものを、技術と呼ぶつもりはないのだよ。[30]
    ぼくは、料理術は技術でなく熟練だが、医術は技術だと思うと言った。そして、それを次のように説明した。

    すなわち、医術は、自分が世話しているものについて、その本性も、自分が施す治療根拠も、よく研究している。だから医術は、それらのいずれについても、きちんと説明することができる。

    これに対して、料理術のほうは快楽に関わっていて、その世話はすべて快楽に向けてなされる。そして、それが快楽に向かっていくしかたは、とても技術とはいえないようなものだ。それは、快楽について、その本性も根拠も、なにも研究しようとはしない。そこにはひとかけらの理論もなく、[さまざまな快楽を]区別することすらほとんどない。それはたんに、たいていの場合こうなるということを、熟達と熟練を通して記憶し、それによって快楽を提供しているにすぎないのだ。[31]
  9. ^ 「エンキュクリオス」は形容詞で、「輪の中で」「円形の」そこから転じて「通常の」「日常的な」「一般におこなわれている」を意味する[40]
  10. ^ クセノクラテスに関する断片などからの推測による[45]
  11. ^ プラトン自身は、立方体(3次元)に関する研究もなされるべきとするが、学術としては未開拓のまま残されているとして具体的な科目を挙げていない[要出典]
  12. ^ 「アルテス・リベラレス」が「エンキュクリオス・パイデイア」と対応づけられるのも、このセネカの書簡に由来する[38]
  13. ^ 12世紀シャルトル学派のテオドリクス(シャルトルのティエリ英語版)の『ヘプタテウコン』(七自由学芸の書)で報告される[49]

出典

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  62. ^ Marrou, Henri-Irénée (1969). "Les arts libéraux dans l'Antiquité classique". pp. 6–27 in Arts libéraux et philosophie au Moyen ��ge. Paris: Vrin; Montréal: Institut d'études médiévales). pp. 18–19.
  63. ^ 大口 2014.
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  65. ^ グローバル・リベラルアーツ学部 | 神田外語大学”. 神田外語大学 - 外国語を学ぶなら. 2021年2月4日閲覧。

参考文献

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  • アリストテレス 著、渡辺邦夫立花幸司 訳『ニコマコス倫理学』 上巻(初版第1刷)、光文社、2015年12月20日。ISBN 978-4334753221 
  • アリストテレス 著、渡辺邦夫・立花幸司 訳『ニコマコス倫理学』 下巻(初版第1刷)、光文社、2016年1月20日。ISBN 978-4334753245 
  • アルクイヌス著、山崎裕子訳「文法学」『中世思想原典集成 第6巻 カロリング・ルネサンス』上智大学中世思想研究所編訳・監修、平凡社、1992年。ISBN 978-4582734164 
  • 桂, 猛「短期大学における教養教育に関する一考察」『国際研究論叢:大阪国際大学紀要』第25巻第1号、大阪国際大学、2011年10月31日、99-116頁、NAID 110008916968。「は、周知の通り中世欧州の大学に始まるを指す言葉である。」 
  • 加藤, 信朗「ギリシア哲学/用語」『日本大百科全書 ― Encyclopedia Nipponica 2001』 第7巻(きよえ―くん)(第2版)、小学館、1994年。ISBN 978-4095261072 
  • 熊野, 雅仁(著)、龍谷大学理工学会(編)「映像の言語と文法(10)―文理工芸融合に向けたリベラルアーツのトリヴィアムと映像の弁証法・文法・レトリック―」『龍谷理工ジャーナル』第21巻第2号、龍谷大学理工学会、2009年9月、50-62頁、NAID 40016961608。「古代ローマにおいて,技術(ars)が,と,機械的技術(artes mechanicae)に分けられた.この自由人の諸技術の英語表記がである.」 
  • Dakers, John R. (2022-11-21). A Nomadic Pedagogy about Technology: Teaching the Ongoing Process of Becoming Ethnotechnologically Literate. Brill. ISBN 9789004537002 

関連項目

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