ボッティチェッリ (競走馬)
ボッティチェッリ(Botticelli、1951年 - ?)はイタリアの競走馬。事実上最後のイタリアクラシック三冠馬である。イタリアの名馬産家フェデリコ・テシオ晩年の傑作で、リボーの1歳年上にあたり、実際にフェデリコ・テシオが調教して競走を見た馬としては最後の名馬となった。イギリスでも活躍し、種牡馬としてもイタリア、ドイツで成功した。名前の由来はイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリより。
ボッティチェッリ | |
---|---|
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1951年 |
父 | ブルーピーター |
母 | ブオナミカ |
生国 | イタリア |
生産者 | フェデリコ・テシオ |
馬主 |
フェデリコ・テシオ →M・M・I・デッラ・ロチェッタ |
調教師 |
フェデリコ・テシオ →M・M・I・デッラ・ロチェッタ |
競走成績 | |
生涯成績 | 18戦14勝 |
獲得賞金 | 4755万リラ+11375ポンド |
血統は父がイギリスの二冠馬ブルーピーター、母はテシオが生産したブオナミカというもので、近親は祖母ベルニーナがイタリア牝馬二冠を制したほか、半弟にダービーイタリアーノ優勝馬ブラック、ドンカスターカップに優勝したボナール、半妹にもセントレジャーイタリアーノを勝ったバルバラシラーニがいる良血である。
3-5歳の間にイタリアとイギリスで18戦を走り14勝を上げ、4755万リラ+11375ポンドの賞金を稼ぎ出した。主要な勝ち鞍としてイタリアクラシック三冠、ミラノ大賞典、イタリア大賞典、クリテリウムナツィオナーレを勝ったイタリアの一流馬であるが、1955年の凱旋門賞前の調教でリボーに子供扱いされ、リボーの引き立て役となってしまった側面もある。だがこの馬自身もイギリスでアスコットゴールドカップに優勝するなど優れた能力を見せており、国際的に活躍できる能力を持っていたことは間違いない。
引退後はイタリアで種牡馬入りし、メラヴイ(ディアナ賞)、アンテラーミ(ダービーイタリアーノ、イタリア大賞典)、ベンマーシャル(セントレジャーイタリアーノ)、タヴエルニエル(セントレジャーイタリアーノ)、レイバーン(パリオリ賞)、セロヴ(イタリア大賞典)などの産駒を輩出した。その後1965年にドイツのシュロースフレンズ牧場へ輸出されたという。死亡日は不明だが1973年生まれの産駒がおり、その前年までは生きていたはずである。
血統表
編集ボッティチェッリの血統(フェアウェイ系/Fairway(Pharos) 2×3=37.50%、St. Simon 5×5=6.25%(父内)、Tredennis 5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Blue Peter 1936 栗毛 |
父の父 Fairway1925 鹿毛 |
Phalaris | Polymelus | |
Bromus | ||||
Scapa Flow | Chaucer | |||
Anchora | ||||
父の母 Fancy Free1924 鹿毛 |
Stefan the Great | The Tetrarch | ||
Perfect Peach | ||||
Celiba | Bachelor's Double | |||
Santa Maura | ||||
母 Buonamica 1943 鹿毛 |
Niccolo Dell'Arca 1938 鹿毛 |
Coronach | Hurry On | |
Wet Kiss | ||||
Nogara | Havresac | |||
Catnip | ||||
母の母 Bernina1931 鹿毛 |
Pharos | Phalaris | ||
Scapa Flow | ||||
Bunworry | Great Sport | |||
Waffles F-No.22-d |