ハウ (戦艦)
ハウ (HMS Howe, 32) は、イギリス海軍のキング・ジョージ5世級戦艦。艦名はリチャード・ハウ提督に因む。
ハウ | |
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基本情報 | |
建造所 | スコットランド、グラスゴー、フェアフィールド社ガバン造船所 |
運用者 | イギリス海軍 |
級名 | キング・ジョージ5世級戦艦 |
モットー | God's will be done (Utcumque placuerit deo ) |
艦歴 | |
発注 | 1937年4月28日 |
起工 | 1937年6月1日 |
進水 | 1940年4月9日 |
竣工 | 1941年3月31日 |
就役 | 1942年8月29日 |
退役 | 1950年 |
その後 | 1958年、インヴァーカイシングにて解体処分。 |
要目 | |
基準排水量 | 39,150 トン |
満載排水量 | 44,510 トン(1945年) |
全長 | 227.1 m (745 ft) |
水線長 | 225.6 m (740 ft) |
最大幅 | 31.4 m (103 ft) |
吃水 | 10.5 m (34 ft) |
主缶 | 海軍式三胴型重油専焼水管缶×8基 |
主機 | パーソンズ式オール・ギヤードタービン×4基 |
出力 | 110,000馬力 (82,000 kW) |
推進器 | スクリュープロペラ×4軸 |
最大速力 | 29.5ノット (54.6 km/h) |
航続距離 | |
乗員 | 1,422名 |
兵装 |
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装甲 | |
搭載機 | スーパーマリン ウォーラス×4機(改装前) |
レーダー |
艦歴
編集ハウは1937年6月1日にフェアフィールド・シップビルディング・アンド・エンジニアリング社で起工し、1940年4月9日に進水、1942年8月29日に就役した。当初はデヴィッド・ビーティー提督に因んでビーティ(Beatty)と命名される予定であったが、1940年2月にハウと改名された。
1942年8月に海上公試が開始されたが、本国艦隊での作戦投入可能となったのは11月以降であった。ハウの主要任務は北極海での船団護衛や、大西洋へ進出しようとするドイツ艦艇の迎撃であった。バレンツ海海戦のあった12月31日、RA51船団の護衛に加え可能であればドイツ重巡洋艦リュッツォウ捕捉のため出撃した部隊の中にハウもあった。2月後半、ハウはソ連へ向かうJW53船団の護衛に加わり、RA53船団とともに戻った。1943年5月、イギリス首相ウィンストン・チャーチルがハウを訪れ、その数日後には国王ジョージ6世も訪れた。
5月になると、ハウは連合国軍の上陸支援のため地中海へ展開することになった。エリコンFF 20 mm 機関砲をいくつか搭載した後、5月21日にハウはジブラルタルへ向けロサイスから出航した。5日後、ジブラルタルに到着。ハウはH部隊に配属され、シチリア島やイタリアへの上陸を支援することになった。6月はじめにはH部隊はアルジェに移り、そのとき再びジョージ6世がハウを訪れた。7月にシチリア島上陸作戦の際、ハウは、イタリア艦隊による妨害に備えてシチリア島とサルデーニャ島の間に位置していた。また、7月12日にはトラーパニやその近くのファヴィニャーナ島およびレヴァンツォ島砲撃に参加するため戦艦キング・ジョージ5世と合流した。シチリア島上陸作戦後、整備のためハウはアルジェに戻った。そこで8月4日に弾薬運搬船が爆発し近くの駆逐艦アローが損傷。遺体の収集を手伝うためハウから人員が派遣された。イタリア降伏後の9月8日、ハウとキング・ジョージ5世は9月9日にイギリス第1空挺師団によるタラント上陸を行う海軍部隊を護衛し、その途中で降伏のためマルタへ向かうイタリア艦隊に遭遇した。9月14日、9月14日、ハウとキング・ジョージ5世は降伏したイタリア艦艇をマルタからアレクサンドリアまで護送した。10月1日にハウはアルジェに着き、そして本国艦隊に戻るためスカパ・フローへ向かった。
1943年10月から1944年6月まで修理が行われ、その後はイギリス太平洋艦隊に配属される。
第二次世界大戦が終了すると訓練艦として使用された。
1958年に、姉妹艦3隻と共に解体された。
ギャラリー
編集参考文献
編集- 世界の艦船増刊第67集