タカラ (玩具メーカー)

かつて存在した日本の玩具メーカー

タカラトミー > タカラ

株式会社タカラ: Takara Co., Ltd.)は、かつて存在した日本玩具メーカー。1953年昭和28年)創業。東京都葛飾区に本社を置いていた。

株式会社タカラ
Takara Co., Ltd.
合併前のタカラ本社が入居していた タカラトミー青戸オフィス
合併前のタカラ本社が入居していた
タカラトミー青戸オフィス
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
125-0062
東京都葛飾区青戸4丁目19番16号
設立 1955年昭和30年)9月17日
(株式会社佐藤ビニール工業所)
廃止 2006年平成18年)3月1日
トミーと合併してタカラトミーとなり[1][2][3]解散)
業種 その他製品
事業内容 玩具事業
代表者 代表取締役社長 奥出信行
資本金 182億2100万円(2005年6月30日)
発行済株式総数 1億5270万4244株
(2005年6月30日現在)
売上高
  • 連結:971億5800万円
  • 単独:456億600万円
    (2005年3月期)
営業利益
  • 連結:△115億3900万円
  • 単独:△104億1000万円
    (2005年3月期)
純利益
  • 連結:△146億8700万円
  • 単独:△203億8500万円
    (2005年3月期)
総資産
  • 連結:830億9300万円
    (2005年3月31日)
  • 単独:484億6600万円
    (2005年6月30日)
従業員数 484名(2005年6月30日)
決算期 3月31日(年1回)
主要株主
  • インデックス 34.5%
  • 有限会社ティーツーファンド 19.4%
  • ティーエイケイ 7.1%
    (2005年9月30日)
主要子会社
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2006年平成18年)3月1日に同業のトミーと合併し、タカラトミーとなった[1][2][3]

社名は創業地の葛飾区本田宝木塚町(現・宝町)に由来する。コーポレートスローガンは「あそびは文化」であった。

概要

1953年の創業以来、伝統的な玩具やボードゲームを主力商品とした。かつては日本初の大ヒット空気ビニール玩具となった「ダッコちゃん」をはじめ、着せ替え人形としてロングセラーとなった「リカちゃん」が主力商品であり「女児玩具のタカラ」と言われ、女児玩具部門では長らくトップの地位に在り続けた。その一方で「チョロQ」や「ビーダマン」など男児玩具でも大ヒット商品を生み出した。

1999年に発売した「ベイブレード」が一躍ヒット商品となり、男児玩具部門でバンダイを抜いてトップに立った。しかし海外展開の失敗により経営不振に陥り、2000年にゲームメーカー・コナミの第三者割当増資を受けてコナミグループ傘下となる。

2002年には当時の社長であった佐藤慶太の決断により、公道を走行できるチョロQを模した電気自動車Q-CAR」を発表、自動車業界に参入した[4]。当初は物珍しさから注目を集めたが、玩具メーカーが自動車産業のノウハウを持ち合わせているはずもなく、月間販売台数は1台もざらで、あっさり撤退した[5]

その後も業績は好転せず、2005年にコナミグループを離脱、インデックスグループ傘下となり、コンピュータゲーム事業を子会社のアトラス(旧社)に譲渡するなどの組織改革を実施した。

2006年3月に同業のトミーと合併し、新社名は「タカラトミー」となった[1][2][3]。存続会社はトミーである(合併比率はトミー1株に対してタカラ0.178株)[6]。新会社の社長にはトミー社長・富山幹太郎が就任し、当社会長の佐藤慶太は副社長に就いた。また、日本国外ではトミーの知名度が高く、英文社名は「TOMY COMPANY,LTD.」となった。

キャラクター商品については、テレビ放送先行型の同業他社と異なり、まずは玩具販売から先行し、売上が好調だとテレビ化に乗り出すという堅実な手法を取ることが多かった。竹森健太郎著『「タカラ」の山―老舗玩具メーカー復活の軌跡』では、この手法を「タカラ的な手法」としている[7]

CMの最後に流れるサウンドロゴとなるジングルの位置には、王冠の付いたダッコちゃんマークが配された位置となり、その上に「ダッコちゃん」その下に「タカラ」と表記されることもあったが、1976年頃からは男の子向けの玩具の商品名において、白バックにダッコちゃんマークが入ったオレンジの背景に白文字付きの「タカラ」のロゴとなっているが、女の子向けの玩具の商品名では、ダッコちゃんマークの表示のみとなり、タカラの文字は無くなっていた(これは、リカちゃんやこえだちゃんなどのCMにおいても、このロゴに表示されていないパターンがある)。1979年頃からは、男の子向けと女の子向けの玩具の商品名に統一することによって、白バックにダッコちゃんマークが入ったオレンジの背景に白文字付きの「タカラ」となっていたが、以後1984年頃からは、「遊びは文化、遊びは教育」の上に表示され、その下に「TAKARA」の入った赤文字に変更された(女の子向けは白バック無しの表示、男の子向けは白バック有りの表示となる)。1985年にCIが変更された後も、赤い丸文字のロゴが入った「TAKARA」の表記を全面に表示されるパターンに変更(女の子向けは白バック有りの表示、男の子向けは白バック無しの表示となる)されたが、1986年以降は、ダッコちゃんマークが入った白バックに「あそびは文化 タカラ」に用いたサウンドロゴとなっていたが、1989年以降はダッコちゃんマークがなくなり、「あそびは文化 タカラ」の表記に戻された[注釈 1]。それ以降は「タカラ」の表記となっている。2000年からは新たにダッコちゃんマークを導入し、サウンドロゴも新しくなった。それに加えて、「TAKARA」の表記もリニューアルされる。一部の商品名についても、このロゴが用いられることになっている。

提供アナウンスでは「タカラ」と読み上げていたが、稀に「遊びは文化、遊びは教育のタカラ」になっていたこともある(これは『装甲騎兵ボトムズ』の中期においても、この提供読みが行われるようになっている)。さらに、1986年にCIが導入された後は提供アナウンスも「あそびは文化 タカラ」と読み上げることになっていた(これは『鎧伝サムライトルーパー』、『獣神ライガー』、『勇者シリーズ』などでも同様の措置が取られていた時もある)。提供クレジットはブルーバックに、ダッコちゃんマークの下に「ダッコちゃんマークのタカラ」および「株式会社タカラ」と表記されることもあったが、一時期、ダッコちゃんマークの右にタカラのロゴが入ったベースが取り入られており、1986年以降はダッコちゃんマークに配された右側に「あそびは文化 タカラ」と「株式会社タカラ」の表示となっていたが、1989年以降はダッコちゃんマークを廃止し、「あそびは文化 タカラ」と「株式会社タカラ」のみとなっている。一部の作品における提供クレジットも「タカラ」、「TAKARA」になっていたこともあった。2006年3月からは同業のトミーと合併しタカラトミーの誕生に伴い、新たな提供クレジット表記が「TAKARA TOMY」で、スポンサー紹介の読みにも「タカラトミー」となった。一部の作品を除き、放送期間中における提供番組では『ドラえもん』の他、『ロックマンエグゼBEAST』、『メルヘヴン』、『魔弾戦記リュウケンドー』、『ワンワンセレプー それゆけ!徹之進』等においてもこのような状況で継続されることになる。

沿革

  • 1953年 - 佐藤加工所として個人創業。
  • 1955年 - 東京都葛飾区本田宝木塚町(現・宝町)にて、佐藤安太有限会社佐藤ビニール工業所を設立。
  • 1959年 - 佐藤ビニール工業所、有限会社から株式会社に改組。
  • 1960年 - 株式会社宝ビニール工業所に改称、玩具製品表記に「タカラビニール」を導入[8]
  • 1960年4月1日 - タカラビニールの新製品「ニューペット ダッコちゃん」が大ヒットし、月産1,000万個(当時単価180円)を記録。ブームと社会現象を起こす。
  • 1961年 - 株式会社タカラビニール工業所に改称。
  • 1966年 - 株式会社タカラに改称。
  • 1981年 - プラモデル事業に参入。
  • 1983年 - 社名英文表記の黒文字ロゴを「TAKARA」に変更する。
  • 1984年 - 店頭市場(現在のジャスダック)に株式公開CIを導入。コーポレートスローガン「遊びは文化、遊びは教育」を用いたロゴを採用。
  • 1985年 - CIを導入し、赤い丸文字のロゴが入った「TAKARA」のロゴを採用。
  • 1986年 - 東京証券取引所第二部に上場。CIを導入。「あそびは文化 タカラ」のコーポレートスローガン、ダッコちゃんマークが描かれたシンボルマークを採用。
  • 1988年6月 - アメリカから黒人蔑視との批判を受け、ダッコちゃんを製造停止[9]
  • 1990年3月 - CIを導入。ダッコちゃんマークの使用を停止し「あそびは文化 タカラ」のロゴに戻される[10][11]
  • 1991年 - 東京証券取引所第一部に上場。
  • 1993年 - 福島県田村郡小野町にタカラ福島工場を前身とする「リカちゃんキャッスル」がオープン。
  • 2000年 - 佐藤慶太が社長に就任。佐藤は「ダッコちゃんの復活」を社命に掲げ[12]、同年3月、佐藤の呼びかけで社内に「ダッコちゃん復活プロジェクト」が立ち上がる[13]
  • 2000年 - コナミ(現・コナミグループ)と資本提携。同年末にCIを導入し「だっこちゃん」マークが描かれたシンボルマークにリニューアル。
  • 2001年 - 新生「だっこちゃん」(だっこちゃん21)をリニューアルして発売[11]
  • 2001年 - ハズブロとの包括的企業提携。
  • 2002年 - チョロQモーターズを設立、電気自動車の製造・販売を開始。
  • 2003年 - アトラスと資本提携、アトラスを連結子会社とする。またタカラのゲームソフトウェア事業を分割しアトラスに譲渡する。
  • 2003年 - ブロッコリーと資本提携。
  • 2005年 - コナミ保有のタカラ株式全株がインデックス(旧法人)に売却される。これに伴い、コナミとの資本提携が解消され、インデックスの傘下となる。ただしコナミとの業務��携は継続される。
    • 5月13日 - トミーとタカラが合併することで合意[2][3]
  • 2005年 - 竜の子プロダクションを買収。
  • 2005年 - ガンホー・オンライン・エンターテイメントと業務提携、同時にタカラの保有するブロッコリー株式の19.5%(380万株)をガンホーに売却、残りの保有株式31.8%(620万株)もアジアングルーヴと傘下の投資事業組合に売却。
  • 2006年
    • 2月 - リカちゃんキャッスルを運営するタカラいわき工業(現:リトルファクトリー)の株式を、タカラいわき工業へMBO方式で譲渡。これによりリカちゃんキャッスルはタカラから資本的に独立する。
    • 3月1日 - トミーを存続会社として合併し、株式会社タカラトミーが発足[1][2][3]。これに伴い、当社は解散。

グループ

主な製品

玩具

輸入玩具

ゲーム(コンピュータゲームソフト以外)

その他

コンピュータゲームソフト 

太字で表記されているものは、海外製のタイトルを日本国内でタカラが発売したタイトルを指す。

など

タカラによる玩具化作品

関連する人物

  • 田中圭一 - 元営業社員。『サラリーマン田中K一がゆく』など、当時のことをフィクションを交えて描いた作品もある。

脚注

注釈

  1. ^ 30秒のみ。15秒は全面に商品名のロゴも有り。

出典

  1. ^ a b c d 株式会社トミーと株式会社タカラの合併による新会社「株式会社タカラトミー」の基本方針に関するお知らせ 株式会社タカラ、株式会社トミー、2005年(平成17年)8月24日、2022年7月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e トミーとタカラ、来年3月に合併 ITmediaニュース、2005年5月13日、2022年7月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e 「数時間前までもめていた」──タカラトミー、スピード交渉の舞台裏 ITmediaニュース、2005年5月13日、2022年7月19日閲覧。
  4. ^ タカラ,乗れる“チョロQ”こと電気自動車「Q-CAR」発表
  5. ^ タカラ、「実車版チョロQ」の製造を中止。 Narinari.com、2004年11月9日、2022年7月19日閲覧。
  6. ^ 合併公告 タカラトミー[リンク切れ]
  7. ^ 『「タカラ」の山―老舗玩具メーカー復活の軌跡』[要ページ番号]
  8. ^ 東京玩具商報1960年1月号
  9. ^ 「だっこちゃん人形、世紀の変身 『差別』批判に配慮、タカラ発売へ」『朝日新聞』2000年12月23日付朝刊、39頁。
  10. ^ 「『だっこちゃん』印、今年限りに タカラ、新マークは公募」『朝日新聞』1989年7月19日付朝刊、11頁。
  11. ^ a b 21世紀の新生「だっこちゃん21」誕生に関するお知らせ、株式会社タカラ、2001年3月。
  12. ^ 『「タカラ」の山―老舗玩具メーカー復活の軌跡』160頁。
  13. ^ 『「タカラ」の山―老舗玩具メーカー復活の軌跡』158-163頁。
  14. ^ 子会社(株式会社タカラアミューズメント)の事業譲渡に関するお知らせ タカラ、2004年8月20日、2022年7月19日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク