シュヴェンチョニース
リトアニア共和国の都市
シュヴェンチョニース(リトアニア語: Švenčionys)はリトアニアの都市。首都ヴィリニュスの北 84 km に位置する。人口の約3分の1がポーランド人の少数民族である。
シュヴェンチョニース Švenčionys | |||
---|---|---|---|
| |||
位置 | |||
シュヴェンチョニースの位置(リトアニア共和国) | |||
座標 : 北緯55度08分 東経26度10分 / 北緯55.133度 東経26.167度 | |||
歴史 | |||
文献に登場 | 1800年 | ||
市に制定 | 1961年 | ||
行政 | |||
国 | リトアニア | ||
地方 | アウクシュタイティヤ | ||
郡 | ヴィリニュス郡 | ||
自治体 | シュヴェンチョニース地区自治体 | ||
市 | シュヴェンチョニース | ||
人口 | |||
人口 | (2009年現在) | ||
市域 | 5,562人 | ||
その他 | |||
等時帯 | EET (UTC+2) | ||
夏時間 | EEST (UTC+3) | ||
郵便番号 | LT-18001 | ||
公式ウェブサイト : http://www.svencionys.lt/ |
都市名
編集シュヴェンチョニース(リトアニア語: Švenčionys)の各国語の表記は以下の通り。
歴史
編集シュヴェンチョニースはリトアニア大公国で最も古くからある街の一つで、14世紀から16世紀には街に地方の裁判所や修道院ができ、発展を遂げた。1830年から1831年にかけてポーランドやリトアニア各地でロシア帝国の支配に反発して起きた、11月蜂起の中心地の一つでもある。戦間期はポーランド軍の侵攻によりポーランド共和国領となった。ユダヤ人人口の多い街でもあり、1897年のロシア帝国による人口統計によると人口の52%がユダヤ人であったという[1]。しかし第二次世界大戦中に彼らの居住区は破壊され、ユダヤ人は追放され殺害された[2]。また、1941年から1943年にかけては街にゲットーも設置された。戦時中、数千人におよぶ現地のユダヤ人およびポーランド人が殺された[3]。戦後はリトアニア・ソヴィエト社会主義共和国領となった。
人口
編集脚注
編集- ^ Demoscope Weekly – Annex. Statistical indicators reference. 2010年7月13日閲覧.
- ^ "Lithuania." Holocaust Encyclopedia. United States Holocaust Memorial Museum. 2010年4月1日. 2010年7月13日閲覧.
- ^ "Instytut Pamięci Narodowej." 2005年3月15日. 2010年7月13日閲覧.