エレナ・イヴァノヴナ (ポーランド王妃)
エレナ・イヴァノヴナ(ロシア語表記: Елена Ивановна / ポーランド語表記: Helena Moskiewska, 1476年5月19日 - 1513年1月20日)は、リトアニア大公で後にポーランド王を兼ねたアレクサンデルの妃。モスクワ大公イヴァン3世の長女、母はモレアス専制公ソマス・パレオロゴスの娘でビザンツ皇族出身のゾエ・パレオロギナ。
エレナ・イヴァノヴナ Елена Ивановна Helena Moskiewska | |
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ポーランド王妃 | |
エレナ(右側)とその夫アレクサンデル | |
在位 | 1501年 - 1506年 |
出生 |
1476年5月19日 ロシア、クレムリン |
死去 |
1513年1月20日(36歳没)[1] リトアニア大公国、ブラスラウ |
埋葬 | リトアニア大公国、ヴィリニュス、テオトコス聖堂 |
結婚 | 1495年2月15日 ヴィリニュス、テオトコス聖堂 |
配偶者 | ポーランド王アレクサンデル |
家名 | リューリク家 |
父親 | モスクワ大公イヴァン3世 |
母親 | ゾエ・パレオロギナ |
宗教 | キリスト教正教会 |
生涯
編集1492年、イヴァン3世がリトアニアに侵入してヴャジマなどを占領すると、即位後まもないリトアニアの統治者アレクサンデルは、イヴァンとの同盟による平和的解決を望んだ。このためアレクサンデルとイヴァンの娘エレナの結婚が計画され、エレナは1495年にヴィリニュスのテオトコス聖堂で、モスクワ府主教マカリイの立会いのもと、アレクサンデルと結婚した。エレナはポーランド王妃に求められるカトリックへの改宗をしないまま、結婚後も正教を信奉していた。このためポーランド王妃としては正式に戴冠せず、称号のみを帯びていた。
エレナは少なくとも二度の妊娠と流産(1497年、1499年)を経験した。1513年に彼女が死ぬと、ミコワイ・ラジヴィウによって毒殺されたのだという噂が立ったという。エレナの遺骸はテオトコス聖堂に埋葬された。ビザンツ皇帝の血を引くポーランド王妃には、他にルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガ(同じアンドロニコス2世の直系子孫)がいる。