イースト・オブ・エデン
イースト・オブ・エデン(East of Eden)は、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンドで、1970年にシングル「Jig-a-Jig」でイギリスでトップ10ヒットを記録した[1]。この曲は彼らの他の作品とはスタイル的に異なるものだった[2]。シンフォニック・プログレッシブ・バンドだと考える人もいるが、そのスタイルは主にジャズ指向であると述べる人もいる[2]。
イースト・オブ・エデン East of Eden | |
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出身地 | イングランド ブリストル |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック アヴァン・プログ エクスペリメンタル・ロック |
活動期間 |
1967年 - 1978年 1996年 - |
レーベル |
デラム・レコード ハーヴェスト・レコード |
公式サイト |
www |
略歴
編集彼らのプロとしてのキャリアは1967年にブリストルで、デイヴ・アーバス(Dave Arbus、1941年10月8日 - 、レスター生まれ、ヴァイオリン、フルート、サックス、トランペット)、ロン・ケインズ (Ron Caines、1939年12月13日 - 、ブリストル生まれ、アルトサックス)、ジェフ・ニコルソン (Geoff Nicholson、1948年6月27日 - 、ブリストル近郊生まれ、ギター、ボーカル)、マイク・プライス(Mike Price、ベース)、スチュアート・ロッシター(Stuart Rossiter、ドラム)によって「Pictures of Dorian Grey(ドリアン・グレイの肖像)」として結成されたときに始まった。プライスは1968年春に脱退し、テリー・ブレイス(Terry Brace、1943年9月28日 - 、ブリストル生まれ)に交代した。同時にボーカリストのアル・リード(Al Read、1942年3月26日 - 、ロンドン・チェルシー生まれ)も加わった。
このラインナップで、バンドは1968年7月25日に非常にレアなシングル「King of Siam」をリリースした[3]。彼らは映画『悪魔のような恋人(Laughter in the Dark)』に出演している[3]。
ブレイスは1968年9月に脱退し、スティーヴ・ヨーク(1948年4月24日 - 、ロンドン生まれ)に交代。ロッシターも脱退し、1968年9月にデイヴ・デュフォート(Dave Dufortb、1947年 - 、ロンドン生まれ)に交代した。1968年に彼らはロンドンに移り、デラム・レコードとレコーディング契約を交わす[2]。1969年2月にデュフォートが脱退、1969年6月にジェフ・ブリトン(Geoff Britton、1943年8月1日 - 、サウスイーストロンドン、ルイシャム生まれ、後にウイングスに加入)に交代となった[2]。ヨークも1969年6月に脱退し、ベーシストのアンディ・スネドン(Andy Sneddon、1946年5月8日 - 、スコットランド、エアシャー、キルバーニー生まれ)が加わった。
1969年、彼らはアルバム『世界の投影』をリリースし、その後すぐにアルバム『錯乱』(1970年)、およびヨーロッパのみのコンピレーション・アルバム『ジグ・ア・ジグ』が1971年にリリースされた。『錯乱』は全英アルバムチャートのトップ30に到達し[1]、シングル「Ramadhan」はフランスで2位となった[2]。ケインズとニコルソンはハーヴェスト・レコードからの失敗した首切りによって1970年代にバンドを脱退した[2]。アーバスもこの時期に脱退し、ジョー・オドネル(Joe O'Donnell、1948年12月26日 - 、アイルランドのリムリック県リムリック)へと交代した[2]。バンドはレコーディングとヨーロッパでのツアーを引き続き行った[2]。
オリジナル・ギタリストのニコルソンが1970年5月に脱退。さまざまなメンバー・チェンジが行われた後、バンドは1978年に解散した。後期ラインナップの重要なメンバーには、ボーカリストのアル・リード、ベーシストのテレンス・ブレイス、ベーシストのアンディ・スネドン、ベーシストでボーカリストのデヴィッド・ジャック(David 'Davy' Jack、1940年1月24日 - 、スコットランドのストラスクライド・グラスゴー生まれ)、ドラマーのジェフ・アレン(Jeff Allen、1946年4月23日 - 、ダービーシャー州マトロック生まれ、1970年6月から)、ベーシストでボーカリストのマーティン・フィッシャー(Martin Fisher、1947年 - 、キングストンアポンテムズ、サリー生まれ)、ヴァイオリニストのジョー・オドネル(1973年3月から)、アラン・パークス(Alan 'Al' Perkes、1949年5月26日 - 、ロンドン東部、ボウ生まれ)、ギタリストのガース・ワット=ロイ(Garth Watt-Roy、1947年12月 - 、インド・ボンベイ生まれ、1972年2月から)がいた。
アーバス、ケインズ、ニコルソンのコア・メンバー3人は1996年に再結集し、翌年にアルバム『Kalipse』を発表した。このアルバムは以前の作品のほとんどと同様にカルト・ヒットとなっている。
アーバスはザ・フーのドラマーであるキース・ムーンの友人で、彼に招かれてザ・フーのアルバム『フーズ・ネクスト』(1971年)の収録曲「ババ・オライリィ」のヴァイオリン・ソロを演奏した[4]。後に「フィドラーズ・ドラム」のメンバーとなった。
ディスコグラフィ
編集アルバム
編集- 『世界の投影』 - Mercator Projected (1969年、Deram)
- 『錯乱』 - Snafu (1970年、Deram)
- 『ジグ・ア・ジグ』 - Jig-A-Jig (1971年、Deram) ※コンピレーション
- 『イースト・オブ・エデン』 - East Of Eden (1971年、Harvest)
- 『ニュー・リーフ』 - New Leaf (1971年、Harvest)
- Another Eden (1975年、Harvest)
- Here We Go Again (1976年、EMI)
- It's The Climate (1977年、EMI)
- Silver Park (1978年、EMI)
- Kalipse (1997年、Transatlantic)
- Armadillo (2001年、Blueprint)
- Graffito (2005年、Eclectic)
脚注
編集- ^ a b Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 176. ISBN 1-904994-10-5
- ^ a b c d e f g h “Biography by Bruce Eder”. Allmusic.com. 8 January 2009閲覧。
- ^ a b 1909-1987, Read, Al (2003). The rock years 1969-1988. Brace, Terry. Bristol: Broadcast Books. ISBN 1874092826. OCLC 851743737
- ^ Neill, Andy; Kent, Matt (2007). Anyway Anyhow Anywhere: The Complete Chronicle of The Who 1958-1978. London: Virgin Books. p. 282. ISBN 978-0-7535-1217-3