折句(おりく、 : acrostic)とは、ある一つの文章の中に、別の意味を持つ言葉を織り込む言葉遊びの一種。句頭を利用したものがほとんどである。

実際の折句

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伊勢物語の東下りの段に登場する和歌に下記がある。

らころも
つつなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞおもふ

頭文字に「かきつはた」(カキツバタ)と花の名が折り込まれている。

ほかに「をみえなし」「はゆひすい」「あめざいく」「すなけむり」「いまそかり」「ねこやなぎ」「ひつじさる」「あやめやあ」「とらめいし」「はるがすみ」「かすがなる」「はなふぶき」「たにこえる」「はひぬこま」「えめさつき」や、人名・地名などがある[1][2][信頼性要検証]

いろは歌は7文字ごとに区切って各節の末尾をつなぐと、「とかなくてしす」(咎無くて死す)となり、無実を訴える文になる。罪を起こすことなく一生を終えたい、の意味だとする説もある。

現代も谷川俊太郎の折句を用いた詩が知られる。

くびがでるわ

やけがさすわ
にたいくらい
んでたいくつ
ぬけなあなた
べってころべ

漢詩では蔵頭詩(真意を蔵した、つまり隠した詩の意味)と称された。1990年の『人民日報』海外版に「元宵」と題した春の訪れをうたった詩が掲載された。斜めに字を拾うと総理李鵬に対する批判が読み取れ、「元宵」事件となる。

英語圏でも折句は広く知られ、ポーは「アクロスティック」と題した詩を書いている。

Elizabeth it is in vain you say

"Love not" — thou sayest it in so sweet a way:
In vain those words from thee or L.E.L.
Zantippe's talents had enforced so well:
Ah! if that language from thy heart arise,
Breath it less gently forth — and veil thine eyes.
Endymion, recollect, when Luna tried
To cure his love — was cured of all beside —
His follie — pride — and passion — for he died.

回転折句

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漢字の共有部を利用した回転折句も成立し得る。

例えば京都龍安寺手水鉢)に刻まれた、以下の四字熟語が挙げられる。

  五
矢 口 隹 - 左回りに「唯吾知足」(口を共有)
  止

沓冠(くつかぶり)

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和歌で、5句それぞれの初めと終りとの1音ずつをつづけて折り返して読み(合わせて10音となる)、別の歌意をつたえようとする技巧的な折句である。

たとえば『栄華物語』にある村上天皇の「逢坂も はては往来の 関もゐず 尋ねて訪ひこ 来なば帰さじ」(ふさか てはいきき きもゐ つねてとひ なはかへさ)(逢坂の関の関守はいない、訪ねて来なさい、もし来てしまったなら帰さない)から、「あはせたきものすこし」(合薫物〈あわせたきもの〉を少し〈持って来るように〉)を読む。

『続草庵集』巻四の兼好法師の「夜も涼し 寝覚めの仮庵 手枕も 真袖も秋に 隔てなき風」(もすす さめのかり まくら そてもあき たてなきか)(この涼夜、仮につくった庵で寝覚めた手枕・袖に、隔てるものもなく秋風が吹く)から「よねたまへせにもほし」(米をくだされ、銭も欲しい)を読み、それに対する頓阿法師の返し「夜も憂し 寝たく我が背子 果ては来ず なほざりにだに しばし訪ひませ」(るもう たくわかせ てはこ ほさりにた はしとひま)(つらい夜だった、つれないあなたは来なかった、せめてかりそめにでもおいでください)から「よねはなしせにすこし」(米は無い、銭を少し)を読む。

脚注

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関連項目

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