アイントラハト・ブラウンシュヴァイク

ドイツのサッカークラブ

アイントラハト・ブラウンシュヴァイクドイツ語: Eintracht Braunschweig)は、ドイツの北西部、ニーダーザクセン州の都市ブラウンシュヴァイクを本拠地とする総合スポーツクラブである。サッカー部門はかつてブンデスリーガで優勝した経験もある古豪であり、2023-24シーズンは2. ブンデスリーガに所属している。サッカー以外にも、バスケットボールハンドボール水泳水球など様々なスポーツ部門を抱える。近郊のクラブであるハノーファー96とライバル関係にある。

アイントラハト・ブラウンシュヴァイク
ファイル:Eintracht Braunschweig logo.svg
原語表記 Eintracht Braunschweig Turn-und
Sportverein Eintracht von 1895
クラブカラー  
 
創設年 1895年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 2部2024–25
ホームタウン ニーダーザクセン州の旗 ブラウンシュヴァイク
ホームスタジアム
アイントラハト=シュタディオン
収容人数 23,500
代表者 ドイツの旗 マルク・アルノルト
監督 ドイツの旗 ダニエル・シャーニング
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クラブの歴史

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1895年、サッカーとクリケットのスポーツクラブ「FUCCアイントラハト1895」として創設された[1]。1906年に「FCアイントラハト1895」、1920年に「SVアイントラハト・ブラウンシュヴァイク」とクラブ名を改称した[1]第二次世界大戦後の1945年4月2日にクラブは解散を命じられたが、同年11月2日に「TSVブラウンシュヴァイク」として再編。4年後の1949年4月1日にかつての名称である「SVアイントラハト・ブラウンシュヴァイク」に改称した[1]

ブラウンシュヴァイクは、1963年のブンデスリーガ発足時の16クラブの一つである[2]。1966-67シーズンには堅固な守備に支えられ、ブンデスリーガ最少失点で(34試合、27失点)リーグ優勝を果たした[2]。当時のキャプテンであったヨアヒム・ベーゼドイツ語版は元々ストライカーとしてプレイしていたがチーム都合でポジションを下げ、フランツ・ベッケンバウアー以前にリベロのスタイルで活躍した[2]。1973年、当時の会長の友人が社長を務めていたイエーガーマイスター社を胸スポンサーに採用した[3]。ユニフォームに広告を掲載することはまだ解禁されていなかったが、クラブのロゴをイエーガーマイスター社のものに変更し胸に付けることにより、ブンデスリーガで初めてユニフォームにスポンサーを付けたクラブとなった[3]

1985年に2部へ降格すると、長年のスポンサーだったイエーガーマイスター社が離れ、2年後の1987年には3部へ降格してしまう[3]。再び1993年に3部へ降格した際は、選手にプロとしての給料が払えなくなる財政的な危機に陥るが、半数の選手がクラブに残り働きながらプレーを続けた[3]。その後、2部と3部を行き来する暗黒時代が続くが、3部での平均観客が約9000人、2部では2万人弱のサポーターが来場しクラブを支えた[3]。2012-13シーズンには2部で2位となり、28年ぶりに1部昇格を果たした[2]。しかし1部の壁は厚く、2013-14シーズンでは最下位となり1シーズンで2部へ降格することになった。

タイトル

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国内タイトル

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  • ブンデスリーガ :1回
    • 1966-67
  • 北ドイツ選手権 :2回
    • 1908, 1913
  • ガウリーガ・ハノーファー南部=ブラウンシュヴァイク :2回
    • 1943, 1944
  • オーバーリーガ・ニーダーザクセン南部 :2回
    • 1946, 1947
  • オーバーリーガ・ハノーファー南部/ブラウンシュヴァイク :2回
    • 1924, 1925
  • ブラウンシュヴァイク地区リーグ :13回
    • 1905, 1906, 1907, 1908, 1909, 1910, 1911, 1912, 1913, 1916, 1917, 1918, 1920
  • レギオナルリーガ北部(2部リーグに相当): 1回
    • 1973-74
  • アマチュア=オーバーリーガ・ニーダーザクセン東部: 1回
    • 1953
  • 3. リーガ: 1回
    • 2010-11
  • レギオナルリーガ北部: 1回
    • 1974
  • レギオナルリーガ北部(3部リーグに相当): 1回
    • 2004-05
  • アマチュア=オーバーリーガ・北部: 1回
    • 1988
  • ニーダーザクセン・ポカール :2回
    • 2004, 2011

国際タイトル

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過去の成績

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シーズン ディビジョン DFBポカール
リーグ 順位
2008-09 ブンデスリーガ3部 38 12 9 17 46 51 45 13位
2009-10 ブンデスリーガ3部 38 17 11 10 55 37 62 4位 1回戦敗退
2010-11 ブンデスリーガ3部 38 26 7 5 81 22 85 1位 1回戦敗退
2011-12 ブンデスリーガ2部 34 10 15 9 37 34 45 8位 1回戦敗退
2012-13 ブンデスリーガ2部 34 19 10 5 52 34 67 2位 2回戦敗退
2013-14 ブンデスリーガ1部 34 6 7 21 29 60 25 18位 1回戦敗退
2014-15 ブンデスリーガ2部 34 15 5 14 44 41 50 6位 ベスト16
2015-16 ブンデスリーガ2部 34 12 10 12 44 38 46 8位 ベスト16
2016-17 ブンデスリーガ2部 34 19 9 6 50 36 66 3位 1回戦敗退
2017-18 ブンデスリーガ2部 34 8 15 11 37 43 39 17位 1回戦敗退
2018-19 ブンデスリーガ3部 38 10 15 13 48 54 45 16位 1回戦敗退
2019-20 ブンデスリーガ3部 38 18 10 10 64 53 64 3位
2020-21 ブンデスリーガ2部 34 7 10 17 30 59 31 17位 2回戦敗退
2021-22 ブンデスリーガ3部 36 18 10 8 61 36 64 2位 1回戦敗退
2022-23 ブンデスリーガ2部 34 9 9 16 42 59 36 15位 2回戦敗退
2023-24 ブンデスリーガ2部 34 11 5 18 37 53 38 15位 1回戦敗退
2024-25 ブンデスリーガ2部 34 1回戦敗退


出典[4]

欧州の成績

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現所属メンバー

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2023年12月8日現在[5]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ロン=トルベン・ホフマン
3 DF   サウロ・デカルリ英語版
4 MF   ヤンニス・ニコラオウ英語版 ( ) ( )
5 DF   ロベルト・イワノフ
6 DF   エルミン・ビチャクチッチ ( )
7 MF   モーリス・ムルトハウプ英語版
8 MF   遠藤渓太
9 FW   ライアン・フィリップ英語版
10 FW   フロリアン・クリューガー
11 FW   リュック・アイホスト英語版
13 GK   ティノ・カサリ英語版
14 FW   アンソニー・ウジャー ( )
17 FW   ユーセフ・アミン英語版 ( )
18 DF   マルビン・リットミュラー英語版
19 DF   アントン・ドンコール英語版 ( )
No. Pos. 選手名
20 MF   ソーリル・ヨハン・ヘルガソン
21 GK   ヤニック・バンソウドイツ語版
22 MF   ラミ・ズアウイ ( )
23 MF   ダニーロ・ウィーブ英語版
24 MF   シディ・サネ英語版 ( )
25 MF   エミル・キスチャカ
26 DF   ヤン=ヘンドリック・マルクス英語版
27 DF   ニコ・キエフスキー英語版
29 DF   ハサン・クルサイ英語版 ( )
30 DF   ブライアン・ベーレント
33 MF   セバスティアン・グリースベック
34 GK   ジャスティン・ドゥダ
36 FW   カーン・カリスカナー英語版
37 MF   ファビオ・カウフマン英語版
39 MF   ロビン・クラウス英語版
44 FW   ヨハン・アラス・ゴメス英語版 ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
10 FW   フロリアン・クリューガー (FCフローニンゲン)
No. Pos. 選手名
20 MF   ソーリル・ヨハン・ヘルガソン (USレッチェ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名

歴代監督

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歴代所属選手

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その他のスポーツ

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クラブはサッカー以外にもバスケットボールハンドボールホッケー水泳水球テニス体操ウィンタースポーツなどのスポーツ部門を保有する[6]

ホッケー

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ホッケー部門は1924年に創設された。クラブの女子ホッケー部門は1960年代から1970年代にかけて、ドイツ選手権で6回 (1965, 1969, 1974, 1975, 1976, 1978) 、ドイツ室内選手権で3回 (1973, 1974, 1975) 優勝するなどドイツのホッケー界を牽引した[7]

バスケットボール

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バスケットボール部門は1956年に創設された。クラブの女子部門は2013-14シーズンから2. 女子バスケットボール・ブンデスリーガドイツ語版に所属している[8]

参考文献

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  • カイ・サワベ 「ブラウンシュバイク オレ達にはオレ達の楽しみ方がある」『Sports Graphic Number』 835号 文藝春秋、2013年9月5日発行、60 - 63頁。

脚注

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  1. ^ a b c chronik”. Eintracht Braunschweig. 2014年8月14日閲覧。
  2. ^ a b c d サワベ 2013, p. 62.
  3. ^ a b c d e サワベ 2013, p. 63.
  4. ^ Eintracht Braunschweig”. Fussballdaten. 2014年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月30日閲覧。
  5. ^ Kader”. Eintracht Braunschweig. 2023年12月8日閲覧。
  6. ^ 優勝経験ある古参、再建目指す”. ブンデスリーガ公式ウェブサイト. 2014年8月14日閲覧。
  7. ^ SPORTANGEBOTE // Hockey // Geschichte”. Eintracht Braunschweig. 2014年8月14日閲覧。
  8. ^ SPORTANGEBOTE // Basketball”. Eintracht Braunschweig. 2014年8月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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