石屋製菓

日本の北海道札幌市にある菓子メーカー

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石屋製菓株式会社(いしやせいか、英称Ishiya Co., Ltd.)は、北海道札幌市西区宮の沢に本社を置く菓子メーカーである。

石屋製菓株式会社
Ishiya Co., Ltd.
石屋製菓本社工場
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 063-0052
北海道札幌市西区宮の沢二条2-11-36
設立 1959年(昭和34年)9月25日
業種 食料品
法人番号 7430001001427 ウィキデータを編集
事業内容 チョコレート菓子製造販売
代表者 代表取締役社長 島田俊平
資本金 3100万円(2005年4月30日現在)
売上高 64億5,628万3,000円(2005年4月期),59億1,300万(2008年4月期)
総資産 193億3,263万1,000円(2005年4月30日現在)
従業員数 103人(2006年1月現在)
決算期 4月
主要株主 石屋商事37.58%
石水勲36.28%
有限会社石水11.59%
石水キヨノ10.82%
伊藤道行1.93%
石水創1.79%(2005年4月現在)
外部リンク http://www.ishiya.co.jp/
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概要

チョコレート菓子のヒット商品『白い恋人』で知られる。主力のチョコレート菓子の他、バウムクーヘンなどの各種菓子、ケーキなども製造販売している。

西洋建築とコンサドーレ札幌をテーマにした集合施設の白い恋人パークの運営も行っている。パーク内には菓子工場であり見学もできるイシヤチョコレートファクトリーイギリステューダー朝期の建築様式の建物を移築したチュダーハウス、コンサドーレ札幌の練習施設として使用される宮の沢「白い恋人」サッカー場がある。

沿革

  • 1947年(昭和22年) - 政府委託の澱粉加工業として創業。
  • 1948年(昭和23年) - ドロップス製造開始。
  • 1957年(昭和32年) - 生菓子製造開始。
  • 1959年(昭和34年)10月 - 石屋製菓株式会社を設立
  • 1976年(昭和51年)12月 - 『白い恋人』を発売。
  • 1995年(平成7年) - イシヤ・チョコレートファクトリー(白い恋人パーク)がオープン。
  • 2000年(平成12年)10月 - 宮の沢白い恋人サッカー場が完成。
  • 2003年(平成15年) - チュダーハウスがオープン。
  • 2007年(平成19年)8月 - 新聞紙上で一部製品の回収を告知。後日の記者会見にて、自社検査により大腸菌群と黄色ブドウ球菌が検出されたと判明。

 ほかに、白い恋人の一部に、賞味期限を1ヶ月延ばして販売したものがあることが発覚(後節にて記述)。

  • 2007年(平成19年)8月24日 - 札幌市保健所が食品衛生法に基づき、衛生面の改善を求める行政処分を行う。
  • 2008年(平成20年)1月31日 - イシヤ・チョコレートファクトリーの開館を再開。
  • 2008年(平成20年)8月1日 - 長年使われてきた、寄り添う2匹の猫をモチーフにしたロゴマークから、青地に白で七稜星[1]を模したマークとアルファベットでISHIYAと書かれたロゴマークに変更された。
  • 2008年(平成20年)12月1日 - 長年使われてきた、寄り添う2匹の猫を『プルミ』と『ラムル』と命名。[2]

主な製品

 
白い恋人
  • 白い恋人
    • 白い恋人
    • 白い恋人チョコレートドリンク
    • 恋人広場
  • 美冬
  • クーベルチュール
  • 貯古令糖
  • クックミー
  • イシヤハードビター
  • テイネショコラ
  • 雪だるまチョコ
  • コンサドーレ札幌
    • コンサドーレクッキー
    • サポーターズ12
  • パイまんじゅう『クラーク』

など

「白い恋人」

創業後、駄菓子製造を行っていたが、本州で大量生産された駄菓子が北海道に流入してきたため、路線の転換を余儀なくされ、高級菓子製造へ事業を変更した。小麦粉鶏卵バターなど高級原材料を使用したラング・ド・シャ(クッキー)のヒットを筆頭に、次々と新製品を生み出した。

主力製品である『白い恋人』は「チョコレートがべとつかずに食べられる方法はないだろうか」という石水勲(創業者・石水幸安の長男、のち社長)の発想から、チョコレートをラング・ド・シャで挟んだ商品として開発。石水幸安がネーミングし、包装デザインはレモンアート社、箱のデザインは野崎印刷紙業がそれぞれ担当、1976年12月に発売された。チョコレートとラング・ド・シャという2つの素材を注意深く合わせたこだわりが独特な食感と繊細な味を生み、ユニークな商品名も相まってヒット商品となった。

旅客機機内食に採用され、観光客を中心に評価を得た。現在でも、「地元のものは地元に来て買ってもらうことにより、北海道銘菓としての魅力を維持し続けられる」というブランド戦略の下、あくまで販売のベースを北海道に限定し、物産展などを除いて道外での販売は行っていない。

「白い恋人」賞味期限1ヶ月先延ばし問題

2007年8月、白い恋人の一部に、賞味期限を1ヶ月延ばして販売したものがあることが発覚。全商品の自主回収を行い、本社工場は操業を停止した。後に白い恋人以外の商品について最長2ヶ月の先延ばしも発覚した。この問題の発覚と前後して、本社工場で生産しているアイスクリームから大腸菌群が、バウムクーヘンから黄色ブドウ球菌が検出されたことも判明した。雪印企業グループミートホープに続く北海道の食品メーカーによる不祥事は、北海道外の地域での「北海道ブランド」のイメージに非常に大きな影響を与えた。

同年8月17日石水勲社長は引責辞任を表明。後任の社長には旧北海道拓殖銀行出身で北洋銀行常務取締役島田俊平が、8月23日付で就任した。

島田社長は同日、役員を刷新。石水勲を含め5人いた取締役(うち4人は石水とその親族。他の1人は賞味期限延ばしを主導したとされる統括部長)のうち、4人を退任させ、自身のほか、1人(取引店・宮の沢支店の支店長)を北洋銀行から、1人(公認会計士)を外部から招聘、2人を社内から起用した。石水勲の長男石水創は留任させた。これについては、将来の社長候補の含みを持たせているとされている[3]

同年8月24日、札幌市保健所食品衛生法に基づき、大腸菌群が検出されたアイス菓子類の廃棄を命令し、衛生面の改善を求める行政処分を行い、8月29日、札幌市の命令に従い、大腸菌群が検出された6月11日製造の「雪だるまくんアイスクリーム(抹茶)」232個を廃棄した。

自主回収から約100日を経た同年11月15日、保健所の了承を得て製造を再開し、22日に販売も再開した。

 
宮の沢白い恋人サッカー場

北海道へのプロサッカーチーム誘致活動において、石水勲が主要人物の1人だったことから、コンサドーレ札幌のオフィシャルパートナーとなった。石水勲は2005年3月25日にコンサドーレ札幌の運営会社である北海道フットボールクラブ (HFC)の代表取締役会長に就任したが、その後HFC役員の不祥事(児童買春)の責任を取り、6月16日に代表権のない取締役に退いた。

2000年にはチョコレートファクトリーの隣に天然芝の屋外グラウンド「宮の沢白い恋人サッカー場」を造成し、コンサドーレ札幌の練習場、サテライトリーグの試合開催場所として提供している。また、付属設備としてレストラン「おうるず」、コンサドーレ札幌オフィシャルグッズなどを販売しているコレクションハウスなどがある。

ホームゲーム会場ではチョコレートドリンク、アイスキャンディーなどの販売を行っている。また、白い恋人のCMではコンサドーレ札幌を応援するバージョンも放送されている。

テレビCM・提供番組

「白い恋人」「美冬」等のテレビCMは、北海道内の民放テレビ5局で各局ローカル番組やスポットCMなどで流れるほか、北海道発の全国ネットで石屋製菓が提供している単発番組に多く流れる。また、道内民放ラジオ4局(AM・FM)でもスポットCMを放送している。なお、提供クレジットは長年「白い恋人(でおなじみ)の石屋製菓」だったが、2008年8月1日からは「白い恋人(でおなじみ)のISHIYA」に変更された。

テレビCM出演

提供番組

去年までの年始特番は全国ネットの番組のローカルCM枠で放送されていた。

※なお、『どさんこワイド』や『わがまま!気まま!旅気分』などは「白い恋人」が視聴者プレゼントとして用意されることがある。

備考

  • 石水勲は、2007年に行われた札幌市長選挙において、自民党推薦候補清治真人後援会会長を務めた。
  • 主取引銀行は、2007年に社長を派遣した北洋銀行。旧北海道拓殖銀行経営破綻により、主取引銀行になった(ただし、主取引店である宮の沢支店は従前からの北洋銀行の支店であり、店舗統合などが伴ったわけではなかったにもかかわらず、北洋銀行の拓銀からの譲受後に取引店を変更している)。秋田銀行みずほ銀行(旧第一勧業銀行)とも大口の取引がある。そのため通販での代金振込先として、以上の3行の中から選択することが出来る。
    • なお、2007年の事件後の現経営体制になってからは、北洋銀行・三井住友銀行の二行が取引行と会社概要に記載されている。
  • 2007年に高校生ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団した中田翔は、記者から「北海道と言えば?」という質問を受けた時、「白い恋人」と答えた。製造再開後に中田に「白い恋人」が贈られた。これがきっかけで、中田の高校(大阪桐蔭高校)でのあだ名が「白い恋人」になった。

関連項目

脚注・出典

  1. ^ 七稜星は北海道章や北海道旗にも用いられている。
  2. ^ 命名の由来はフランス語で「初恋」を意味する「プルミラムル」とのこと。
  3. ^ [1] 朝日新聞

外部リンク