患難時代
患難時代、大患難時代(かんなんじだい、だいかんなんじだい)とは、イエス・キリストのことばで新約聖書、マタイによる福音書24章21節に「大いなる患難あらん(文語訳聖書)」[1][2][3]と言われているものである。
キリスト教終末論のうち、これが未来に起こるとする立場では、神に従う人が世界的な迫害を経験する時代である。これが過去に起こったとするプレテリストの立場では、70年にエルサレムとその神殿を破壊した時にすでに終わったとする。
ディスペンセーションの立場
ディスペンセーショナリズムでは、患難時代前にクリスチャンは携挙され、ノン・クリスチャンとユダヤ人が患難にあうとする。患難前携挙説と言われる。
プレテリスト(黙示録預言既成説論者)の立場
プレテリストは、ユダヤ人がイエスを拒絶したため、ユダヤ人に下った裁きで、。70年にローマ帝国軍がエルサレムとその神殿を破壊した時すでに起こったとする。これは、マタイ24、マルコ13、ルカ21を根拠とする。
historicistの立場
この立場では、患難をユダヤ人に限定することにおいて、プレテリストに似ている。ハルマゲドンはすべての人類に対する神の怒りであるが、患難時代はユダヤの民に限定される。しかし、これを今日のできごとの預言としても見る。マルティン・ルター、ジャン・カルヴァンら宗教改革者は、反キリストであるローマ教皇とイスラムの脅威を患難とみた。また現代も患難が続いているとする立場もある。
脚注
参考文献
- 『聖書の教理』尾山令仁 羊群社
- 『子羊の王国』岡山英雄 いのちのことば社