芝山 宣豊(しばやま のぶとよ)は、江戸時代前期の公卿堂上家(家格は名家藤原北家高藤流勧修寺庶流)である芝山家初代。

 
芝山宣豊
時代 江戸時代前期
生誕 慶長17年3月25日1612年4月25日
死没 元禄3年2月13日1690年3月23日
改名 勧修寺宣豊→芝山宣豊
官位 正二位権大納言
主君 明正天皇後光明天皇後西天皇
氏族 芝山家
父母 父:阿部致康
定豊宣助阿部房豊安倍瑞屯
安倍瑞屯養女[1]
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経歴

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勧修寺晴豊の子である右衛門尉阿部致康の子として誕生した。始め大蔵卿勧修寺宣豊を名乗る。叔父・権大納言勧修寺光豊の猶子となる。

官位正二位・権大納言。

元禄3年(1690年)、薨去。

系譜

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  • 父:阿部致康(1585-1645)
  • 母:不詳
  • 妻:家女房 - 佐山氏
    • 三男:阿部房豊(1639-1706) - 阿部致康の養子
  • 生母不明の子女

脚注

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先代
-
芝山家
初代
次代
芝山定豊