古井 由之(ふるい よしゆき、1865年3月17日(慶応元年2月20日[1][2]) - 1937年(昭和12年)8月23日[3])は、明治から昭和時代戦前の政治家実業家衆議院議員岐阜県不破郡垂井町長。

古井由之

経歴

編集

美濃国不破郡、のちの岐阜県不破郡垂井町出身[1]。古井荘之助の長男として生まれ、1894年(明治27年)9月、家督を相続する[2]。漢学を修める[3]。のち福岡市に移る[2][4]

不破郡書記、垂井町長、同町会議員、岐阜県会議員、同常置委員、同参事会員、不破郡会議員、同参事会員、所得税調査委員、郡教育会長、地方森林会員を歴任した[3]

また、農業を営む傍ら、羽二重織物工業を経営し、県農会理事、郡蚕糸業組合長、美濃実業銀行[注 1]監査役、高須貯蓄銀行[注 2]、大垣貯蓄銀行[注 3]大垣共立銀行各取締役、丸三商店社長[3]、十七銀行[注 4]常務取締役[2]、同副頭取、博多湾鉄道汽船監査役を務めた[4]

1902年(明治35年)8月の第7回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選[3]。その後、第10回総選挙まで連続当選し衆議院議員を通算4期務めた[3]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 大垣共立銀行の前身行のひとつ。
  2. ^ 昭和2年解散。
  3. ^ 大垣共立銀行の前身行のひとつ。
  4. ^ 福岡銀行の前身行のひとつ。

出典

編集

参考文献

編集