三ッ林弥太郎
日本の政治家
三ッ林 弥太郎[2][3](みつばやし やたろう[4]、1918年(大正7年)11月22日[4] - 2003年(平成15年)8月18日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の元衆議院議員(10期)。
三ッ林 弥太郎 みつばやし やたろう | |
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生年月日 | 1918年11月22日 |
出生地 | 埼玉県北葛飾郡行幸村(のち幸手町、現・幸手市)[1] |
没年月日 | 2003年8月18日(84歳没) |
出身校 | 埼玉青年師範学校(現・埼玉大学教育学部) |
所属政党 | 自由民主党 |
子女 |
次男:三ッ林隆志(元衆議院議員) 三男:三ッ林裕巳(元衆議院議員) |
親族 | 父:三ッ林幸三(元衆議院議員、元幸手町長) |
第40代 科学技術庁長官 | |
内閣 | 第3次中曽根内閣 |
在任期間 | 1986年7月22日 - 1987年11月6日 |
選挙区 |
(旧埼玉4区→) 埼玉14区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 |
1967年1月29日 - 1976年12月9日 1979年10月7日 - 2000年6月2日 |
在任期間 | 1964年3月29日 - 1965年3月29日 |
来歴
編集埼玉県北葛飾郡行幸村千塚[5](のち幸手町、現・幸手市)、三ッ林幸三の長男として生まれる[3][4]。埼玉県立杉戸農業学校、埼玉青年師範学校(現・埼玉大学教育学部)卒業[3][5]。奉天予備士官学校卒業[4]。
青年学校教諭兼小学訓導、埼玉県農業会勤務を経て1948年に埼玉県指導農協連北葛飾支所経営課長となり1951年以来4回県議に当選[4]。
自民党県連副幹事長を務め1960年に県議会副議長、1964年に議長に選ばれる[4]。1967年、衆議院議員に当選する[4]。
人物
編集三ッ林について『国会議員総覧 1970年版』によると「農民、農地を基盤にして農民議員の色彩が強く、国会生活も農民のための政治実現に全力を傾ける姿勢で、新しい農村づくりに邁進してきた」という[2]。
略歴
編集家族
編集- 三ッ林家
脚注
編集- ^ a b “埼玉県議会歴代正副議長一覧”. 埼玉県. 2022年4月25日閲覧。
- ^ a b 『国会議員総覧 1970年版』223頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e 『埼玉県議会史 第9巻』埼玉県議会議員録34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第25版 下』み36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月15日閲覧。
- ^ a b c d 『埼玉県蚕糸業史』1378 - 1379頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月26日閲覧。
参考文献
編集- 『埼玉県蚕糸業史』埼玉県蚕糸業協会、1960年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。
- 日本民政研究会編『国会議員総覧 1970年版』評論新社、1970年。
- 埼玉県議会史編さん委員会編『埼玉県議会史 第9巻』埼玉県議会、1976年。
関連項目
編集外部リンク
編集- 第66代 三ッ林弥太郎議長 - 埼玉県議会
議会 | ||
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先代 福家俊一 |
衆議院運輸委員長 1984年 - 1986年 |
次代 山下徳夫 |
先代 谷川和穂 |
衆議院文教委員長 1980年 - 1981年 |
次代 青木正久 |
先代 稲垣実男 |
衆議院災害対策特別委員長 | 次代 高村正彦 |
公職 | ||
先代 河野洋平 |
科学技術庁長官 第40代:1986年 - 1987年 |
次代 伊藤宗一郎 |
先代 河野洋平 |
総理府原子力委員会委員長 第40代:1986年 - 1987年 |
次代 伊藤宗一郎 |